2007年03月09日

小倉かつらの個性ある半生:競馬:借金

小倉かつらで有名なフジテレビ朝のとくだねのメインキャスターである小倉智昭さんの「果報は寝て待て、いや違う。果報は練って待て」という人生観が、うかがえるロングインタビューが、
R25 に載ってます。

1947年5月25日、秋田県生まれ。獨協大仏語科卒後、1971年に東京12チャンネル(現・テレビ東京)に入社。競馬番組などで人気を博す。借金を抱え、「今の給料では借金を返せない」と考えて
76年退社後、大橋巨泉事務所(現・オーケープロダクション)に所属。その後、フジテレビ朝のとくだねのメインキャスターなどになる。

◆【局アナ体質に納得できず、
戦っていたころ】

高校のころから競馬にハマっていたこともあり、競馬に対する知識は新人ながら他を圧倒していた。東京12チャンネルに入社してわずか2カ月。気づけば彼は競馬番組の実況マイクの前にいた。24歳、驚くほどのスピード出世。主観をまじえた実況が話題を呼んだ。

「“小倉は競馬に詳しい”ということが次第に競馬サークルの間に広まって、競馬番組での自分のポジションみたいなものは確立できたんです。ただ、競馬の実況だけでは終わりたくなかった。だからね、いろんな仕事をしたくて直接現場の人間にも直訴しました。でも、そうすると“これはお前が決めることじゃない、会社が決めることだ”って怒られたワケです」

今でこそ小倉は自分の個性と意見を全面に出すタイプの司会者だ、といわれるが、若き日からその兆し(?)はあったようだ。なかにはこんなエピソードもある。競馬番組を一人で担当していたこともあり、自分に何かあったときのことを考えて後輩の新人に一から競馬を教えたのだ。だが、先輩からは罵倒された。いわく“俺たちの世界は勝負の世界なんだから、先輩後輩関係ない。後輩が伸びてくればお前の仕事がなくなるんだよ”。小倉が反発したことは想像に難くない。

「そりゃ、頭にきてね、局がそんなことじゃダメでしょう、どうやって番組を良くするとか、アナウンサーを育てるっていう気持ちがなければ育つものも育たないだろうって怒ったんです」
その時代の放送局やアナウンサーの体質とは明らかに肌が合わなかった。あまりのキャラの強さから、そんなこんなで会社側とは衝突が続いた。当然聞こえてくる声は“小倉の野郎は天狗になってる”。言われなき非難だった。

しかもこのとき、ある事情から決して少額ではない借金を抱えていた。離婚もするハメになった。“日本一のアナウンサー”を目指していたが、見事なまでに悪いことがグランドクロスし、歯車が狂っていく。“このままこの局にいては自分がダメになる”。こうしてわずか5年半でサラリーマン生活とオサラバした。

「会社の偉い人からは“そんなに早まらなくても…”って慰留はされたんです。ちょうどそんなときに巨泉さんが“今、競馬をしゃべらせたら小倉しかいない”と。それまでは競馬場で会って、簡単な挨拶を交わすくらいの仲だったのに、僕の名前を覚えてくれてて…感激しましたよ。アルバイトもしてたくらいで、会社からの給料だけでは借金は返せないし、なら、巨泉さんの事務所にお世話になろうと」(R25より)。


posted by いち at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉かつら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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